万葉集・古今集の月の恋の歌。月の光に来てと待つ歌、月を見て泣いた業平の歌
・つきしおり編集部
月の光は、会いに行くための明かりだった
街灯のない昔、月の光は、夜道を歩くための大切な明かりでした。恋人のもとへ通うのも、月の明るい夜。だから昔の恋の歌には、月がよく出てきます。
ここでは、奈良時代の『万葉集』と、平安時代の『古今和歌集』から、月の恋の歌を5首紹介します。百人一首の月の恋の歌とあわせて読むと、千年のあいだに、月の歌が少しずつ変わっていくのがわかります。
月読の 光に来ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに(万葉集・湯原王)
月の光をたよりに、来てください。山が間にあって遠い、というわけでもないのですから。
「月読」は、月のことです。月の明るい夜なら道に迷わないでしょう、と恋人をさそう歌です。月を口実にしながら、本当は「会いたい」と伝えています。
夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行ませわが背子 その間にも見む(万葉集・大宅女)
夕方の暗がりは、道があぶなっかしいもの。月が出るのを待ってから帰ってください、あなた。そのあいだだけでも、あなたを見ていたいのです。
帰ろうとする恋人を、月を理由に引きとめる歌です。「その間にも見む」の一言に、少しでも長く一緒にいたい気持ちがこめられています。
月夜よし 夜よしと人に 告げやらば 来てふに似たり 待たずしもあらず(古今和歌集・よみ人しらず)
「今夜は月がきれいで、いい夜ですよ」とあの人に伝えたら、「来て」と言っているのと同じこと。でも、待っていないわけではないのです。
月がきれいだと伝えるだけで、会いたい気持ちが伝わってしまう。「月が綺麗ですね」の言葉にも通じる、千年以上前の歌です。
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして(古今和歌集・在原業平)
この月は、去年の月ではないのだろうか。春も、去年の春ではないのだろうか。わたしだけが、去年のままなのに。
会えなくなった人を思って、一年後の同じ春の夜に、同じ場所で月を見てよんだ歌と伝えられます。月も春も変わらないはずなのに、あの人がいないだけで、すべてがちがって見える。恋を失ったさみしさを、月にたずねる形でよんでいます。
天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(万葉集・柿本人麻呂歌集)
空の海に雲の波が立ち、月の舟が、星の林の中へこぎ進んで隠れていくのが見えます。
最後の1首は恋の歌ではありませんが、夜空を海に、月を舟にたとえた、万葉集の中でもよく知られた歌です。細い月を舟に見立てる言い方は、今も月の美しい言葉の中に残っています。
しおりの子より月が出たら会いに来て、って、なんだかすてきな約束だね。
今日のねがいの言葉
わたしは、会えた時間をていねいに味わっている。
このことばをつきしおりに書く書いたねがいを、毎日そばに
「つきしおり」は、新月にねがいを書き、満月に叶ったことを確かめる画面のある、紙の帳面のようなアプリです。書いた言葉は、朝と夜に一枚ずつ届きます。